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柏崎 (能) : ウィキペディア日本語版
柏崎 (能)[かしわざき]

柏崎』(かしわざき)は、能楽作品のひとつ。四番目物、狂女物に分類される。元は摂津猿楽の榎並左衛門五郎の作品だが、世阿弥によって改作され、善光寺浄土信仰や仮の世という世界観に立脚した作品になっている〔梅原猛、観世清和『能を読む①翁と観阿弥』角川学芸出版 2013年pp126-140 〕。
== あらすじ ==
越後の国に住む柏崎殿の身内の小太郎と言う男が、鎌倉から急ぎ故郷の柏崎に向かっている。柏崎殿とその子息の花若殿は、訴訟のために鎌倉に滞在していたが、急な病気で柏崎殿が亡くなられ、また、それを嘆いた花若殿は遁世してしまわれたので、そのことを柏崎殿の妻に告げるために故郷に戻って来たのであった。さめざめと泣きながら話す小太郎からの悲報を聞いた柏崎殿の妻は、我が夫が臨終の最後のときまで気にかけてくれていた事を知り、夫の形見を見ながらあふれ出る涙を抑える事ができなかった。小太郎は子息の花若殿から預かった手紙を柏崎殿の妻に渡すと、そこには父を失くした子の苦悩と、それを機に出家に至った花若の心情と母への気遣いが綴られていた。母は子の出家した気持ちに理解を示しつつも、恨めしくも思われ、また同時に子の無事を神仏に祈らずにはいられなかった。
一方花若は、信濃の国の善光寺を頼って行き、そこの住僧と子弟の契りを結んでいた。住僧は毎日、善光寺の如来堂に花若を連れて参っていた。またそのころ柏崎の妻(花若の母)は、人が見てもわからぬほどのみずぼらしい姿となって、狂ったように、夫や子のためにとの思いで善光寺へ向かっていた。善光寺の阿弥陀如来に死別した夫を導いてもらいたいとの思いであった。そして善光寺の住僧が、狂ったように柏崎の妻が御堂に入ってくるのを見るや、そこから出て行くように告げる。狂女のようになった柏崎の妻は、極悪人でも阿弥陀如来の誓いにて救われるとあるのではないですか、この如来堂の内陣こそは極楽浄土の最上であるのに、そこに女人が参れないというのは阿弥陀如来が申された事ですかと住僧に問い返す。そうして如来堂の阿弥陀如来に夫の形見を捧げて、哀しみを忘れると同時に、夫の死後善所を祈りたいと願うのであった。さらに形見を出しては,生前の夫の姿や所業を懐かしく思い出しつつ、踊りを舞うのであった。そのうち狂女は、この世は仮の世と心得て入るのですが、その仮の世の親子関係すら添い遂げる事ができぬとは、これも憂き世のならわしなのでしょうかと言い、哀しみの涙で溢れ、子や夫を思う妄執に胸は満ちてくるのであった。そして、思えば三界に流転しながら、なおも人間の妄執から抜け出すことができず、月光の輝く台に生まれなくても嘆こうともせず、煩悩にとらわれる様は悲しい事と思いますが、この生涯のうちに身を解放しようとしても、罪障は高い山のごとくあり、悪業は多くありて、それも叶わないというのであった。それで、仏が説いた教えにも心以外に特別な法など無いとあるように、阿弥陀如来は唯、己の身の中にあり、また、浄土は己の心にありと言うように、願わくばこの寺の阿弥陀如来を頼って念仏を唱え、黄金の岸へと救われたいのですと言う。阿弥陀如来が全ての衆生を救いたいと言われた誓願に誤りなければ、きっと願いを叶えてくださるであろうから、かの浄土で夫との縁が結ばれますようにと、阿弥陀如来に帰依し明方まで称名を唱えようとするのであった。
その時、住僧が涙を流しながら、この子こそがあなたの子どもですよと言った。花若の母はそれを聞いて、堪えられない程の嬉しさであった。お互いにあれがそうかと思いながらも母は狂人のようであり、花若は出家姿であったためにすぐには二人ともわからず、しかしよく見れば間違いなく母と子の姿であった。親子がここで逢えたことは、まことに嬉しいことであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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